ブログ

[ 関東 ] 我々が出来ること

今週の初め頃よりこの震災に直面して我々に何ができるか真剣に考えるようになった。そこにヒントをもらったのは、仙台や福島の運送会社との電話からだった。事務所も流され、半数のトラックを失っても、被災地から電話の先で気にしていたのは、地元の届け先の安否だった。運送会社の気持ちを痛感させられる出来事だった。阪神淡路大震災の時は、国から自宅が倒壊した家庭には30万円と被災地に一律10万円の40万円が渡されたと聞いたが、共稼ぎの家庭にとっては一ヶ月の給料にも満たない額である。募金やボランティアは尊いと思うが、物流業で生活している我々にとっては、縁ある運送会社に少しでも仕事をしてもらって、被災地に一円でも多くお金を落とすことだと自分自身に結論つけた。


阪神淡路大震災の時、親友の進めもあって被災地を一日掛けて見て歩いた。須磨区を歩いてた時、傾きかけた一戸建ての前にあった自動販売機で飲料水を買ったら、その家の人から「有り難う」と声を掛けられた。その一言で悲惨な光景をみて落ち込んでいた私が、逆にどれほど勇気づけられたか。その時も同様のことを感じた。どうせ買うなら神戸から買おうと、被災地にお金を落とそうと。それ以来10年間は会社で使う年賀挨拶品に、神戸のお菓子を使わせてもらった。 


我々の出来ること、しなければならないことは必要とするところに荷物を運ぶこと。

阪神淡路大震災の時、日時が経過するにつれて道路が混乱している中にあっても、関東のお客様より大阪に向けてのかなり強烈な輸送依頼の電話を多数いただいた。辛かったのは定期的にもらっている仕事に対して「いついつ運べます」と言えないことだ。東京にいても解決策がないので、大阪や兵庫の面識の無い運送会社に飛び込んで輸送してくれないか頼みまわった。「関西の厳しい状況は大変よくわかりますが、関東でも本当に困っておられるお客様がいらっしゃるのです」と言いながら。

我々には、運ぶ使命感がある。メタル便も風評被害を度外視して関東エリアの配送をいち早く再開した。支援物資の主体は官主導に変わりつつある中、今後これから始まる東北へ復旧物資の物流も確保していかなければならない。従来は関東⇔東北の物流の主役は東北各地の運送会社だったが、被害にあった福島・宮城・岩手の運送会社は、地域全体の経済がダメージを受け関東に上ってくる荷物も失っている。被災地が阪神淡路の時より広範囲なだけに物流も相当苦労することが予想される。「頑張れ東日本」ではなく「頑張ろう日本」であるべきだと思う。

[11.03.25]